1.17によせて (北淡震災記念公園と共に) | WOMANIA
2012.01.17 Tuesday 11:14

1.17によせて (北淡震災記念公園と共に)

1995年1月17日発生

本日、1月17日。
阪神・淡路大震災から17年です。

昨年3月11日に起こった東日本大震災をきっかけに、阪神のことも
クローズアップされることが多くなりましたが、あれから17年間、
神戸を中心としたひとたちは、毎年1.17が近づくたびに、
この震災のことを振り返り、伝えてきました。
おそらく、月日が経つにつれ、毎年毎年こんなに騒がなくてもと
思っていらっしゃる方もいるだろうなと思います。
震災経験者の中にも「思い出したくない」というひともいます。
「風化させないため」と言われますが、何故に月日と共に薄れていっては
いけないことなのかと、そこに疑問を感じるひともいるでしょう。

1995年1月17日の神戸新聞

ワタシは、神戸を離れてから、特にこの日を振り返るようになりました。
毎年、1.17に震災についての何かを記してきました。
それは、震災経験そのものを伝えるというよりも、あんなに大きな地震を
経験したワタシも今は、元気で普通に暮らしていますということを
伝えたかったのかもしれません。神戸以降に起こった震災の経験者の方が、
あのとき神戸のひとたちが感じた「もう終わりだ」という気持ちの代わりに
「あの神戸でも復興したのだから」と励みにしてもらえたら、
「これからどうなるのだろう」と未来に不安を覚えている方が、
「17年後には、被災者の中にもこんな風に毎日を送っているひとがいる」と
月日の流れを信じてもらえたらと思うのです。人間は比べることでラクに
なることがあります。事実、ワタシも17年間の中で、苦しいとき、つらいとき、
「地震のときに比べたら」と思って、生きてきました。
ある意味、振り返りはワタシの中での確認です。

震災により大きな被害を受けた地域

ワタシは、神戸市兵庫区という場所で生まれ育ち、そこで被災しました。
被害が大きかったといわれた、長田区、兵庫区の一端にあります。
幸いにして、ワタシの地元は火災が発生しなかったため、地震の被害のみでした。
地震直後、倒壊した自宅の部屋に閉じ込められ、夜が明けるのを待った時間。
避難所となった小学校の講堂から見た、真っ赤に燃える遠くの景色。
祖父母の家の横の路地一面に流れ落ちていた、屋根瓦の海。
幼馴染と共に何キロも歩いて食料を買い求めに行った道のり。
避難所の講堂の緞帳の影で流した涙。
電気が通った後、オーブントースターとホットプレートで作った温かい食事。
被災後、はじめて訪れた大阪の変わらない風景。
たくさんの忘れられない出来事があります。毎日が必死でした。

昨年11月、ワタシは、阪神・淡路大震災の原因となった兵庫県南部地震で出現した
野島断層を見に行きました。それは淡路島の北淡震災記念公園の中にあります。

野島断層

手前の隆起が、道路に現れた断層です。
淡路島・北淡町にあらわれた野島断層は延長10kmにも及ぶとか。
野島断層は、ここで、アスファルト舗装の真下を横切り、上下に約50cm、
向かって右方向に最大1.3mずらしたそうです。

右側が兵庫県南部地震で動いた主断層

断面的に見れば、これが兵庫県南部地震で動いた主断層です。
大地がこれだけ動いたということが、ワタシたちの生活に及ぼした影響。
それを考えると、人間ってもろいものだなと思わずにはいられませんでした。
この隆起が出現したと共に、計り知れないほどのものが奪われたのです。

阪神・淡路大震災では、火災による被害も多くみられました。
ワタシの知り合いの方も、地震で倒壊した家に閉じ込められた後、
迫り来る火の手を免れることが出来なくて、亡くなりました。
震災記念公園には、「神戸の壁」と呼ばれる延焼防火壁も移設、保存されています。

神戸の壁

「神戸の壁」は、昭和2年頃、神戸市長田区若松町の公設市場の延焼防火壁として
建てられたもの。神戸大空襲に耐え残り、阪神・淡路大震災でも周囲の建物が
倒壊全焼する中、この壁だけは倒れず、焼けず、その姿をとどめたということで
震災から得た教訓と防災に対する意識を発信する象徴とされています。

あの日の朝、ワタシの家でもたくさんのものが倒れ、壊れました。
ワタシの部屋の中の状況で忘れられないのは、電気の傘から蛍光灯が外れ、
床に破片が散らばっていたことです。また、揺れにも方向があったらしく、
たんすは揺れで移動し、上に置いていたコンポも落ちていたのに、
本箱は倒れず、中の本は1冊も飛び出ることが無かったのも不思議です。

メモリアルハウス

これは、北淡震災記念公園の中にあるメモリアルハウスの風景。
メモリアルハウスは活断層の真横でもほとんど壊れなかった家で
「地震に強い家」として公開されています。倒壊はしなかったけれど、
家は元の位置から約20cm持ち上がり、横に約120cm動いたそう。
当時の状況を再現したという様子は、すさまじいものがあります。
あの日、多くの家庭のキッチンがこうであり、これ以上だったと思います。

メモリアルハウスの中には、当時の子供たちの声も紹介されていました。

子供たちの声

忘れられない出来事

当時、小学生だった子供たちも、今では大人になっています。
東日本大震災のときも、神戸の震災を経験した若者がボランティアに行っていると
聞きました。あのときの恩返し、震災の痛みを知るものとして、震災の経験をいかして、
そんな想いから神戸からたくさんの支援が東北に届けられています。
そう思うと、あの地震で経験したこと、感じ、考えたことは無駄じゃなかったと
思うのです。ワタシも、いつの頃からか、小学6年の子が書いているように
「地震があったから」と考えられるようになりました。
震災はあって嬉しいものではないし、出来れば体験したくなかったことだけれど、
神戸に生まれたことを一度も後悔したことはありません。

モニュメント鎮魂の碑

今年も神戸では、追悼の儀式がありました。
ワタシもこの時刻、小さな祈りをささげました。
今年は、東日本大震災が発生した14時46分にも黙祷が予定されています。
逆に東日本大震災の被災地である陸前高田でも本日、追悼行事が行われたそうです。
陸前高田には、神戸から「1.17希望の灯り」が分灯されています。

震災は多くのものを奪い、変えていったけれど。
妙な表現ですが、1月17日はワタシにとって誕生日のような存在です。
17年前、ワタシが命を落とさなかった保障はどこにもなくて。
それでも生きていて、その後のジブンがある。
毎年、1月17日5時46分には、ワタシが「今、ここに在ること」に感謝を重ねます。

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